乙女ゲーやら日常やらつらつらと。
おばあちゃんの49日も過ぎ、
台風もあまり影響なく過ぎていき、
日々も過ぎていきます。
お元気ですか。
私はそれなりに生きてます。
宣伝していいですか!
自分で言うのもなんですが、藍春ちゃん本、すごくがんばったので、
よければ!よければ!
買ってやってください!
すみませんすみません宣伝でした!
いやでもゲストさまはとてもすばらしいので!
よろしくお願いします!
最近あったことと言えば、
病院の日が丁度うたプリ2000%の一番くじが引ける日で、
朝7時半に家を出て、
くじを引きました。
ままりんに相当馬鹿にされましたが、
後悔はしてません。
着いたとき、もうすでにトキヤさんのきゅんキャラフィギュアはなかったので、
翔くんあたればいいなぁと思ったら、
まさかの御曹司組みでした。
後グラスも藍ちゃん組ほしいなぁと思ったのですがすでになく、
ROTと御曹司にしました。
イニシャルストラップはかろうじてトキヤさんが一個あったので、
迷いなく。
そして10個もピンズセットが当たってしまい、
これは一個ぐらい藍ちゃんまじってるといいな!
と思ったら、
まさかの
トキヤさん4個。藍ちゃん0個。
交換していただきました。
藍ちゃんと。
ツイッターで。
でも春ちゃんも出たしよかったーv
ラストワン、ほしかったですが、
病院の時間もあったので、
泣く泣くツタヤさんを後にしました。
いいの!
悔いは残ってない!
後は何かあったっけ。
何か最近ホントパソコンしかしてない;
ゲームもしてない;
触ってない;
テレビもあんまり見てない;
頑張ろう…。(何を)
そんなこんなです。
続きでメールお返事です!
ありがとうございます!
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♥ つづきはこちら
母と叔母(おばあちゃんの娘)と私で、病院におばあちゃんの入院費用の支払いと、
お世話になった看護婦さんに菓子折りを持っていきました。
なんだかまだおばあちゃんが病院に居るような気がして、
車の中では平気だったのですが、
着いて、
母が受付で支払いを済ませ、
エレベーターにのったとき、
ああ、数週間におばあちゃんを車椅子に乗せて、
このエレベーターに乗って、
中庭でお茶したことが蘇ってきて、
涙がでてきました。
4階についくと、
おばあちゃんが居た病室は空になってて、
ああ、
そうだ、
やっぱりもう居ないんだ、
と、
現実をつきつけられたような気になりました。
涙がとまらなくて、
また気持ち悪くなって、
帰ってから、
もう遺影を見ても大丈夫になっていたのに、
またおばあちゃんの前で泣いてしまいました。
おばあちゃん。
おばあちゃんがどうして死ななくちゃいけなかったの?
私はおばあちゃんを殺した病気が憎いよ。
憎くてたまらないよ。
おばあちゃんこの間夢にでてきてくれたね。
ありがとう。
ちょっとだったけど、おばあちゃんと会えて嬉しかったよ。
また、皆のところに会いに行った最後でいいから、
夢にでてきてね。
お世話になった看護婦さんに菓子折りを持っていきました。
なんだかまだおばあちゃんが病院に居るような気がして、
車の中では平気だったのですが、
着いて、
母が受付で支払いを済ませ、
エレベーターにのったとき、
ああ、数週間におばあちゃんを車椅子に乗せて、
このエレベーターに乗って、
中庭でお茶したことが蘇ってきて、
涙がでてきました。
4階についくと、
おばあちゃんが居た病室は空になってて、
ああ、
そうだ、
やっぱりもう居ないんだ、
と、
現実をつきつけられたような気になりました。
涙がとまらなくて、
また気持ち悪くなって、
帰ってから、
もう遺影を見ても大丈夫になっていたのに、
またおばあちゃんの前で泣いてしまいました。
おばあちゃん。
おばあちゃんがどうして死ななくちゃいけなかったの?
私はおばあちゃんを殺した病気が憎いよ。
憎くてたまらないよ。
おばあちゃんこの間夢にでてきてくれたね。
ありがとう。
ちょっとだったけど、おばあちゃんと会えて嬉しかったよ。
また、皆のところに会いに行った最後でいいから、
夢にでてきてね。
2014年5月11日18時42分
私の祖母が永眠いたしました。
79歳でした。
ブログに書こうかどうか迷いましたが、
やっぱり書いておこうと思います。
11日の夕方、病院に居た叔母から皆集まったほうがいいという
電話をもらい、
休みだった母とおじいちゃんと私と急いで病院にいきました。
病院についたときおばあちゃんは
酸素マスクをし、
苦しそうに呼吸をしていました。
もう意識も朦朧としていたのに、
私が
『ばあちゃん、来たよ』というと、
目を大きく開きました。
私はもう涙がとまらなくて、少しでもおばあちゃんと触れ合っていたいと、
手を握り、
瞬きをしない目を見つめながら、
『ばあちゃん、しっかりしてね。頑張って頑張って』
と必死に訴えかけました。
母が父を迎えにいくということで、
病院を出て行ってしまって不安で不安で仕方なかったのですが、
おばあちゃんの子にあたる叔父、叔母、おじいちゃん、丁度来ていたおばあちゃんの
弟さん夫妻が一緒にいてくれました。
おばあちゃんは苦しそうに何度もうなって、
その度に、涙がこぼれました。
おばあちゃんの初孫である天神の病院に勤めてる私の従姉が、叔母から連絡をもらい、
急いで帰ってくるということで、
『ばあちゃん頑張って、お姉ちゃんが来るよ』
と必死で現世におばあちゃんを繋ぎとめました。
従姉がくるまでの1時間半ほどが、
すごく長く感じられました。
従姉がくる十数分前に父と母が駆けつけ、
ずっと病院に泊り込みで看病していた母が、
私の代わりに手をとって、
『おかあさん、おかあさん、もうすぐひろちゃんがくるけんね。
頑張って頑張って』
といい、
父はもう言葉もでないようで、
ずっと涙を流しながら、
おばあちゃんのやせ細ってしまった手をさすっていました。
18時25分ごろ、従姉が到着し、
『ばあちゃん、きたよ。』
と話しかけました。
おばあちゃんはおねえちゃんの姿を見たからか、
唇を噛み締めました。
鼻で呼吸をしてくれてるのか解らなくて、
『ばあちゃん!ばあちゃん!』
『おかあさん!おかあさん!』
皆で呼びかけましたが反応がなくなり、
ナースコールで呼んだところ、先生と看護婦さんがきて、
先生が聴診器で体の音を聞いたり、
目でライトをかざしたりして、
『体の機能停止と、心配機能停止、
ご臨終です』
と言い、
看護婦さんが
『お別れがすんだら声をかけてください』
と言い、出て行きました。
私は声を抑えられないほどわんわん泣きました。
そんな私を母が抱きとめ、
『大丈夫。ばあちゃんはやっと苦しみから開放されたけんね。
頑張ったね』
と言ってくれました。
ひとしきり、皆で泣いた後、
看護婦さんを呼ぶと、
『今から体を拭きますが、ご家族の方もご一緒にどうですか?』
といわれ、
私と母と叔母と従姉が入って、
拭きました。
おばあちゃんは、私が最後に見たときよりもやせ細っていて、
手首なんか握ったら折れそうなくらいでした。
手や足をタオルで拭き、
『後は私たちがいたしますので』
と看護婦さんに言われ、ロビーにでました。
それから綺麗にお化粧してもらい、浴衣を着せられたおばあちゃんが
ベッドに寝かされでてきて、
『今から霊安室に行きます』
といわれ、
ついていきました。
霊安室でお線香を一人ずつあげて、
おばあちゃんは霊柩車に乗せられました。
亡くなったかたへ、ご飯を五尺炊かなくてはならないらしく、
私と母は急いで家に帰りました。
家で待っていると、おばあちゃんが帰ってきました。
お坊さんがきて、
お経を詠まれて、
私は涙でぐしゃぐしゃになりながら、
お経は耳に入らず、
おばあちゃんのことばかりを考えていました。
それからはお葬式までばたばたで、
いつ寝たのか、
いつご飯を食べたのか、
いつお風呂に入ったのか、
全く覚えていません。
とりあえずおばあちゃんの好きだった、
編み物道具は入れたいと思ってい、
編み棒を毛糸と、
ケイタイで撮影したおばあちゃんの写真を
数枚拡大コピーして、
お手紙を
お葬式の最後にお棺に花を入れるときに入れました。
おばあちゃんの冷たくなった顔を、
たくさん触りました。
これが亡くなったかたの体温なのかと思うと、
これが最後なのかと思うと、
もう涙がとまりませんでした。
出棺し、お骨を骨壷に収め、お位牌を家に持ち帰り、
『ばあちゃんお帰り』
といったとき、
ふと、何か楽になりました。
それでもう大丈夫だと思ったのですが、
おばあちゃんが居たリビング、
一緒にご飯を食べたダイニング、
一緒にご飯を作ったキッチン、
色んな話をしたおばあちゃん、おじいちゃんの部屋、
おばあちゃんの笑顔、
私に話してくれたこと、
一緒にお散歩bした道、
一緒に買い物したお店、
色んなおばあちゃんを思い出すと、
やっぱりまだ完全に大丈夫じゃないんだなと、
今、思います。
でも、時間がいつか、
『ああ、こういう日もあったね』
って、笑って話せる日に思い出に
なれることを信じてます。
長くなりました。
読んでくださったかた、ありがとうございます。
他の方にとったら、
『ああ、亡くなったんだね』
ぐらいの認識だと思います。
でも私にとっては、
悲しい悲しいお別れです。
身内が亡くなるということがこういうことなのかと初めて知りました。
これから、まだしばらくは泣いたりするかもしれません。
でも、おばあちゃんが私に遺してくれたことを大切にしてしっかり歩いていこうと思います。
私の祖母が永眠いたしました。
79歳でした。
ブログに書こうかどうか迷いましたが、
やっぱり書いておこうと思います。
11日の夕方、病院に居た叔母から皆集まったほうがいいという
電話をもらい、
休みだった母とおじいちゃんと私と急いで病院にいきました。
病院についたときおばあちゃんは
酸素マスクをし、
苦しそうに呼吸をしていました。
もう意識も朦朧としていたのに、
私が
『ばあちゃん、来たよ』というと、
目を大きく開きました。
私はもう涙がとまらなくて、少しでもおばあちゃんと触れ合っていたいと、
手を握り、
瞬きをしない目を見つめながら、
『ばあちゃん、しっかりしてね。頑張って頑張って』
と必死に訴えかけました。
母が父を迎えにいくということで、
病院を出て行ってしまって不安で不安で仕方なかったのですが、
おばあちゃんの子にあたる叔父、叔母、おじいちゃん、丁度来ていたおばあちゃんの
弟さん夫妻が一緒にいてくれました。
おばあちゃんは苦しそうに何度もうなって、
その度に、涙がこぼれました。
おばあちゃんの初孫である天神の病院に勤めてる私の従姉が、叔母から連絡をもらい、
急いで帰ってくるということで、
『ばあちゃん頑張って、お姉ちゃんが来るよ』
と必死で現世におばあちゃんを繋ぎとめました。
従姉がくるまでの1時間半ほどが、
すごく長く感じられました。
従姉がくる十数分前に父と母が駆けつけ、
ずっと病院に泊り込みで看病していた母が、
私の代わりに手をとって、
『おかあさん、おかあさん、もうすぐひろちゃんがくるけんね。
頑張って頑張って』
といい、
父はもう言葉もでないようで、
ずっと涙を流しながら、
おばあちゃんのやせ細ってしまった手をさすっていました。
18時25分ごろ、従姉が到着し、
『ばあちゃん、きたよ。』
と話しかけました。
おばあちゃんはおねえちゃんの姿を見たからか、
唇を噛み締めました。
鼻で呼吸をしてくれてるのか解らなくて、
『ばあちゃん!ばあちゃん!』
『おかあさん!おかあさん!』
皆で呼びかけましたが反応がなくなり、
ナースコールで呼んだところ、先生と看護婦さんがきて、
先生が聴診器で体の音を聞いたり、
目でライトをかざしたりして、
『体の機能停止と、心配機能停止、
ご臨終です』
と言い、
看護婦さんが
『お別れがすんだら声をかけてください』
と言い、出て行きました。
私は声を抑えられないほどわんわん泣きました。
そんな私を母が抱きとめ、
『大丈夫。ばあちゃんはやっと苦しみから開放されたけんね。
頑張ったね』
と言ってくれました。
ひとしきり、皆で泣いた後、
看護婦さんを呼ぶと、
『今から体を拭きますが、ご家族の方もご一緒にどうですか?』
といわれ、
私と母と叔母と従姉が入って、
拭きました。
おばあちゃんは、私が最後に見たときよりもやせ細っていて、
手首なんか握ったら折れそうなくらいでした。
手や足をタオルで拭き、
『後は私たちがいたしますので』
と看護婦さんに言われ、ロビーにでました。
それから綺麗にお化粧してもらい、浴衣を着せられたおばあちゃんが
ベッドに寝かされでてきて、
『今から霊安室に行きます』
といわれ、
ついていきました。
霊安室でお線香を一人ずつあげて、
おばあちゃんは霊柩車に乗せられました。
亡くなったかたへ、ご飯を五尺炊かなくてはならないらしく、
私と母は急いで家に帰りました。
家で待っていると、おばあちゃんが帰ってきました。
お坊さんがきて、
お経を詠まれて、
私は涙でぐしゃぐしゃになりながら、
お経は耳に入らず、
おばあちゃんのことばかりを考えていました。
それからはお葬式までばたばたで、
いつ寝たのか、
いつご飯を食べたのか、
いつお風呂に入ったのか、
全く覚えていません。
とりあえずおばあちゃんの好きだった、
編み物道具は入れたいと思ってい、
編み棒を毛糸と、
ケイタイで撮影したおばあちゃんの写真を
数枚拡大コピーして、
お手紙を
お葬式の最後にお棺に花を入れるときに入れました。
おばあちゃんの冷たくなった顔を、
たくさん触りました。
これが亡くなったかたの体温なのかと思うと、
これが最後なのかと思うと、
もう涙がとまりませんでした。
出棺し、お骨を骨壷に収め、お位牌を家に持ち帰り、
『ばあちゃんお帰り』
といったとき、
ふと、何か楽になりました。
それでもう大丈夫だと思ったのですが、
おばあちゃんが居たリビング、
一緒にご飯を食べたダイニング、
一緒にご飯を作ったキッチン、
色んな話をしたおばあちゃん、おじいちゃんの部屋、
おばあちゃんの笑顔、
私に話してくれたこと、
一緒にお散歩bした道、
一緒に買い物したお店、
色んなおばあちゃんを思い出すと、
やっぱりまだ完全に大丈夫じゃないんだなと、
今、思います。
でも、時間がいつか、
『ああ、こういう日もあったね』
って、笑って話せる日に思い出に
なれることを信じてます。
長くなりました。
読んでくださったかた、ありがとうございます。
他の方にとったら、
『ああ、亡くなったんだね』
ぐらいの認識だと思います。
でも私にとっては、
悲しい悲しいお別れです。
身内が亡くなるということがこういうことなのかと初めて知りました。
これから、まだしばらくは泣いたりするかもしれません。
でも、おばあちゃんが私に遺してくれたことを大切にしてしっかり歩いていこうと思います。
いっぱい…うっぐすっ…いっぱい文字かいたのに…
消えた…。
とりあえず今うたプリ二世熱いです二世ばっかりですみません、
と、
明日から5日まで弟一家来るので浮上できません、いやだよ、
と、
今夜8時ごろからうたプリ二世絵チャしたいなと思ってて
ピクシブに絵チャ室投稿するのでよろしければ遊んでやってください、
みたいなことをつらつらかいてました。
もう書く気力がない;
消えた…。
とりあえず今うたプリ二世熱いです二世ばっかりですみません、
と、
明日から5日まで弟一家来るので浮上できません、いやだよ、
と、
今夜8時ごろからうたプリ二世絵チャしたいなと思ってて
ピクシブに絵チャ室投稿するのでよろしければ遊んでやってください、
みたいなことをつらつらかいてました。
もう書く気力がない;